オーストラリアのアンザックデーって何?日本との深い関係

4月25日はアンザックデー(ANZAC DAY)といわれる、オーストラリアとニュージーランドにとって非常に大切な祝日です。

オーストラリア・ニュージーランド軍や戦争に関わって命を落とした人々に対する追悼をする日です。

ANZACは、Australia and New Zealand Army Corps.の略で、ガリポリの戦いに参加した兵士達はANZACsと呼ばれ1916年に正式に4月25日がANZAC Dayとされるようになった。ANZAC DAYは第二次世界大戦後、ガリポリの戦いに参加した兵士だけでなく、戦争に参加した全てのオーストラリア兵のための記念日に変わっていった。

wikipediaより引用

毎年アンザックの日である4月25日になるとパレードや式典が開催され、たくさんの軍人を見ることができます。

何も知らずにこの時期にオーストラリアに来たら「大きなイベントっぽい」とワクワクするかもしれませんが、日本との重要な歴史の背景を是非知っておいて欲しいと思い、この記事を書きました。

日本と関係があるの?

実はアンザックデーはオーストラリアと戦争の関わりのある日本人にとっても大切な日です。

 第二次世界大戦を経験したお年寄りと話をする時などもあるのでこの歴史は知っておいたほうがいいと思います。 
ノリコ
ノリコ

私自身、夫に出会った当初、戦争を体験した義父とのよく聞き取れない会話の中でこういった話が出た時、うなずくことしかできませんでした。
なので日本でもっと歴史を勉強していたらよかったなぁと思いました。

昔は日本人というだけで、卵を投げつけられた、知らないおじいさんから「日本へ帰ろ!」といきなり怒鳴られた・・などの差別とも捉えられる事がありました。

これは一体なぜなのか?どういった背景があるのか、を知る事が大事だと思います。

日本はダーウィンを空爆した唯一の国

オーストラリアのアンザックデーって何?日本との深い関係

歴史を学ぶ事は非常に重要です。

第二次世界大戦でドイツ軍側についた日本は、オーストラリアとは敵関係でした。

オーストラリアのアンザックデーって何?日本との深い関係

そして、日本はオーストラリア本土に空爆した唯一の国だということをご存知でしたでしょうか?

ダーウィン空襲という日本が加害者になった過去を知っておいてください。日本軍はほとんど損害を被らずに、オーストラリアに重大な被害を与えました。ダーウィンの都市部も空襲により被害を受け、一般市民の死者も多数出ました。

オーストラリアのアンザックデーって何?日本との深い関係 ダーウィン

1942年2月19日、オーストラリア史上で最大規模の他国勢力による攻撃が行われた。後にダーウィン空襲 (英語: The Bombing of Darwin)、別名ダーウィンの戦い (英語: The Battle of Darwin)として知られる。

ダーウィン空襲
オーストラリアのアンザックデーって何?日本との深い関係 ダーウィン

この時に日本軍が行った2回の空襲は、1942年から43年にかけて100回以上日本がオーストラリア軍に対して行った空襲のうち、一番早く、かつ大規模に行われたものであった。

ダーウィン空襲

攻撃の直後は、ダーウィンの市民の半分以上が完全に街を離れたそうです。

またブルーム、クイーンズランド北部にも攻撃をしています。これらの攻撃により、死者は400人以上、負傷者1,000人以上が出たそう。

オーストラリアにとって、日本は憎むべき敵国だったのです。

また捕虜として、日本軍が使用する鉄道、道路、飛行場などの建設作業に従事させられたオーストラリア人もいました。

それは酷い扱いだったとあるおじいさんから聞いた事があります。

病気、飢え、暴力などのために死亡した捕虜もいた事実背景から考えると、それは大げさではないと思います。

なぜ歴史を知る事が大切なのか?

英語はコミュニケーションツール。外国人との関係が深くなればなるほど、こういう話もする事になります。

特にオーペアなどファミリーの中で生活をしていると一緒にこういった歴史的な行事に参加することにもなるでしょう。

日本は原爆を落とされた唯一の国、戦争に負けた国として被害者としての意識が大きいかもしれませんが、こんな過去もあったのだという事だけは知っておいてください。

式典でパシャパシャ写真ばかり撮るのではなく、歴史的背景を感じながら日本人として恥ずかしくないように、行動したいですね。

アンザックデー豆知識

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dawn service

現役・退役軍人が出席し、一般の人も自分たちの祖先を追悼する式典。

夜明け前から野外で行なわれます。なぜそんなに早い時間なのかと言うと、当時のガリポリ上陸時間に合わせているのだそうです。 

全ての町に小さな公園の中にANZACの碑があります。その元で式典をするのが通例です。

2019年パース、キングスパークでのアンザックデー朝の式典の様子

⚠️ロックダウン中のパースは今年は全ての式典が中止となり、朝6時前に自宅の外に立って追悼の祈りを捧げる “Stand at Dawn”となりました。

たくさんの人が自宅前の道に出て、それぞれが静かにこの国のために戦った人たちに敬意を表しました。

a moment of silence

最後に黙祷をします。

Lest we forget🌹

戦争が関係した内容に関してこのフレーズがよく使われます。意味的には

“we should remember”

日本語でもよく「この戦争は絶対忘れてはいけない」といいますよね。

Lest の意味は「〜しないように」

との事なのですが、なぜこういう言い回しになるのか説明できないので知ってる人がいたら是非教えてください!

アンザックビスケット🍪

戦争に出た夫の妻たちが焼いて、戦地にいる夫たちに送ったのが始まりと言われています。

戦争で戦っている夫のために健康的で長持ちするものを、とつくられたそう。

オート麦を使った日持ちする硬いビスケットです。

パレード

大きな街では午前中にパレードや楽器の演奏などの式典があります。

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パレードは市内各所で行われ、多くの軍服を着ている人たちを見かけることができます。これは、退役した、または現役の軍人たち、もしくはコスプレをしている人たちも。

アンザックデーの日にはたくさんのポピーが様々な形で飾られ、毛糸で作られたものもあり、ポピーが満開となります。

ノリコ
ノリコ

いかがでしたか?この記事が一人でも多くの日本人、特にワーホリ・留学生に目に止まる事を祈ります!
機会があれば、シドニーにある「アンザック戦争記念館」へも行ってみて下さい。

>>The Anzac Memorial